2014年12月12日金曜日

周辺住民も気軽にサービスエリアを利用できる

舞鶴若狭自動車道・西紀サービスエリア支配人の荻野順子さんは、天井のエアコンの吹き出し口の汚れを指摘された。「今まではライバルがいなくて、営業的にものんびりしていた。今は点数や順位が付けられるので、とても剌激になります」と話している。荻野さんは指摘された部分の改善だけでなく、「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」というような声かけトレーニングを店員に行うようになった。公団時代の体質を変えなければ生き残れないことが、現場にも浸透してきている。

ハイウェイーコンビニの秘策とは関西から九州・沖縄まで、総延長三二〇〇キロに及ぶ西日本高速道路の受け持ち区間には、通行量の少ない赤字路線が数多くある。その少ない利用客を上手に取り込むために、新規テナントの開発が進んでいた。例えば、九州自動車道の佐賀・基山パーキングエリア。ここには、ハイウェイピットと名付けられたハイウェイーコンビニがある。運営はローソンが行っている。二四時間体制なのはもちろんのこと、薬剤師を常駐させて眠気覚ましや酔い止め、目薬など自動車に乗る人たちを意識したドラッグコーナーが設けられていた。奥には、マッサージーチェアまである。このハイウェイーコンビニの最大の特徴は、店内にゆったりとしたカフェコーナーがあること。ここで、お客は買ったばかりの弁当などを食べられるのだ。

ハイウェイ・コンビニを開発したのは、西日本高速道路サービスHDの石崎直喜さん(三七歳)だ。民営化以前は、高速道路施設の設計を手掛けていたが、今やごこスターコンビニと呼ばれている。「市中のコンビニにはない飲食形態を持った店作りで、お客を増やしていきたい」と語っている。石崎さんは、徳島自動車道の徳島・吉野川サービスエリアに新しいハイウェイーコンビニを開こうと計画していた。公団時代にいわゆるファミリー企業が運営していたテナントは全部取り止め、ハイウェイ・コンビニを作ろうというのである。もちろん、カフェコーナーを併設した二四時間営業の店だ。「ここは面積的にも、通常のコンビニの倍近い広さがとれます。お客さまに満足して頂ける品揃えができると思います」と自信を見せた。

ところが、この吉野川サービスエリアには、すぐ近くに強力なライバルが立ちはだかっていた。吉野川ハイウェイオアシスである。隣接する土地に建設されたこの施設には、巨大なお土産物コーナーが設置されている。高知、愛媛、徳島、香川と四国四県の名産品二五〇〇アイテムが、所狭しと並べられていた。ここの責任者である吉野川ハイウェイオアシスの真鍋勝明さんは「競合するジュースやおにぎり、弁当はコンビニの方が強いでしょうが、それは微々たるもの。うちは、お土産が専門ですから」と、動じる様子はなかった。

それに対して、石崎さんは、不敵な笑みを浮かべた。「がっぷり四つで戦いますよ。うちは普通のコンビニじやないですから。反則みたいなコンビニなんで」石崎さんは吉野川サービスエリアのコンビニに、店舗の四分の一の面積を割いて、お土産を置くことにしたのである。厳選した品揃えの土産品で、吉野川ハイウェイオアシスに挑もうというのだ。さらに、石崎さんには秘策があった。吉野川サービスエリアは、一日片側三〇〇〇台しか通行量がない厳しい路線にある。しかし、その裏側には、広大な住宅地が広がっていた。人口一万六〇〇〇人の東みよし町の住民を、ハイウェイーコンビニに取り込もうと考えたのだ。これが可能なのも、民営化による規制緩和で、周辺住民も気軽にサービスエリアを利用できることになったためである。

2014年11月12日水曜日

悪徳商法の対処法

離婚問題もそうです。「過去の事実が重要なら興信所にでも調査を頼むか」といったことだけで済むとは限りません。長い間の夫婦のありようが問題となることもあるでしょう。

あるいは悪徳商法や悪徳業者によるトラブルでも、二、三ヶ月前に「あの人がああ言ったから」「言わなかったから」といった点が本当かどうかが問題になるわけです。

では、証拠はとこにあるのかといえば、相手の家にあるとか、相手の会社にあるとか、いろいろなケースかおるわけです。しかし、明らかに存在すると思われるその証拠がすんなり出てくるかというと、相手に「別にそんな証拠を出す必要はありません」と言われてしまいます。

もちろん、民事の紛争にすぎない以上、強制的に相手の家や会社に踏み込むといったこともできません。文書の管理が杜撰であればあるほど、「証拠が見つからない」として許されることも往々にしてあります。そのため、弁護士としても「ちゃんと文書を管理しなさい」という指導が、どことなくタテマエにすぎないように感じてしまいます。

残念ながら、現在の日本の民事訴訟システムでは、裁判になるような深刻なトラブルであっても、お互いに自分に有利な証拠だけしか出さないというのがタテマエでもあるのです。裁判所は、原告や被告が自発的に出してくる証拠だけで判断すればよい、という楽なスタンスに位置していて、進んで真相に迫る義務は負っていないのです。

2014年10月11日土曜日

戦後日本の再軍備

とりわけ首相訓示の一節、「集団的自衛権の問題についても、国民の安全を第一義とし、いかなる場合が、憲法で禁止されている集団的自衛権の行使に該当するのか、個別具体的な事例に即して、清々と研究を進めてまいります。」この言葉は、海外戦争への参加をタブーとしてきた憲法解釈に変更の意欲を表明したものと受けとめられる。自衛隊をはっきりと「アメリカとともに海外で戦う」方向に据えかえる政策転換といえる。とりもなおさず、それは。裏声で歌った”憲法改正宣言にほかならない。ここで、朝鮮戦争を契機とし「警察予備隊」創設にはじまる戦後日本の再武装過程を振りかえる。

警察予備隊本部、保安庁、防衛庁、防衛省にいたる名称の変遷は、半世紀あまりの歳月をかけながらじりじりと変身をとげてきた「日本再軍備」の、長い、折れ曲がった歴史をあらわしている。それはまた、「戦争を放棄した」日本国憲法第九条と現実政治のあいだに形づくられた建前と本音の急激な斜面が、なし崩しと既成事実化のつみかさねにより、法と現実の平衡感覚を完全に失わせるほど増大した事実をも示す。省移行にあらわにされた「下位法による憲法無視」の下剋上ぶりは、現実との乖離をただすなどという形容でつくろえるものでなく、法治主義の原則からしても異様というしかない。たとえ、この間に、日本の経済力と国際的地位が飛躍的に力を増したことや、冷戦後、周辺地域に生じた安全保障環境の移り変りといった事情を考慮に入れたとしてもである。

まして、かたわらに最高法規としての憲法が「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」「国の交戦権は、これを認めない」と明示して、なお現存していることを思えば、法の威信低下は、社会全体の荒廃につながるものといえる。発足の日の曇りなき空によって、防衛省・自衛隊が、憲法のもとぶ日天白日の存在として受け入れられたとは、だから、けっしていえない。いぜんとして。太陽に顔をそむけた”誕生であったとすべきだろう。安倍首相が式典で述べた「戦後レジームからの脱却」という時代の区切りは、一九五五年、保守合同(いわゆる五十五年体制)=自民党結党時になされた「自主憲法・自主防衛」官言、また八二年、中曽根康弘首相が打ち出した「戦後政治の総決算」官言とあわせ、自民党防衛政策における三つ目の大きな転換宣言と受けとめられる。

首相は宿願達成の満足感に満たされたことだろう。それとともに、新設された「海外任務」公式認知と、それにつづく「集団的自衛権容認」の方向とむすんで、さらなる変身への決意も自覚されていよう。首相が二〇〇七年四月の訪米に先だち発足させた「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(座長の柳井俊二前駐米大使の名をとって「柳井懇談会」とよばれる)は、集団的自衛権解禁への地ならしである。省移行をバネに、このあと自衛隊の変容は、「戦時と戦地」へ向かってまっすぐ突き進んでいくにちがいない。すなわち、海外派兵の手続きの変更-従来とってきた時限立法制定(テロ特措法やイラク特措法など「特別措置法」の方式)によらず、いつでも発動できる「恒久法」(一般法)の立法へと進むだろう。

2014年9月11日木曜日

『隠れ借金』によるその場しのぎ

「社説」の批判は正論である。だが実は、防衛費の対前年度伸び率は低下しているものの、歳出額は削減をみていないどころか増加している。その基本的理由は、九〇年度予算以来どっしりと防衛予算に重きを占めている後年度負担(国庫債務負担行為の歳出化と継続費支出)にある。定員削減による人件費・糧食費に大ナタを振るうことは当然として、国庫債務負担行為に根本からの見直しをはからないかぎり、防衛予算の硬直性は直されることはないだろう。

防衛予算に立ち入ったのは、国庫債務負担行為限度額の約半分が、防衛費の限度額であるためである。したがって、防衛予算の硬直性は、とりもなおさず一般会計の硬直性を意味している。建設・赤字国債の発行と累積、それによる国債費の増加だけが問題なのではない。国庫債務負担行為を特定政策領域の財源調達手段とすることによって、予算の弾力性は一段と失われているのである。

国債の発行や国庫債務負担行為などの「表に出ている借金」とは別に、一般会計の歳入のやりくりのために、特別会計からの借入れ、法定されている基金等への歳出の停止、本来払うべき債務の先送りなど、さまざまな財源確保のテクニ″クが用いられている。これらのテクニックによって生じる債務は、一般に「隠れ借金」とよばれる。

一九九五年度予算における「隠れ借金」の実態については、すでに第一章において触れた。そこでも述べたように、法律上歳出が義務づけられている厚生年金特別会計や雇用保険特別会計への国庫負担金の繰り延べ、国債整理基金への繰入停止、一般会計の債務の返済先送りなどの複雑な操作が行われている。当年度の歳入を確保するために、歳出の先送りを行おうとも、それらは一般会計の債務として累積し、いずれ返済の措置をとらなくてはならない。この意味で、こうしたテクニックによるその場しのぎの措置は、政府の借金となって、新たな課題に対応した政策展開を制約する。

大蔵官僚は、「赤字国債は、いったん出すと歯止めがかからない。制度的にも金額的にも制約のある『隠れ借金』方式の方がましである」と語るが、それは論弁といわざるをえない。赤字国債であれ建設国債であれ、国債は発行額が明示されており、国民には分かりやすい。だが、「隠れ借金」は、大蔵大臣にすら「理解不可能」といわしめるほど、複雑な会計操作であって、その統制がきわめて難しい。赤字国債の発行に「歯止め」がかかるかどうかは、政治の能力の問題であり、「歯止め」論は「隠れ借金」を正当化する論理とはならない。

2014年8月16日土曜日

被害者の視点から交通事故を考える

私はある一つの「交通死」を手掛かりにして、今の日本で交通犯罪がどのように処理されているのかを見ていきたいと思います。そのことを通して、くるま社会と言われている私たちの社会の一面を明らかにしてみたいと思います。一般的に言えば、交通犯罪の後始末という問題は法律家の守備範囲です。加害者は業務上過失致死傷の罪で裁かれますし、被害者に対する損害賠償問題を解決するのは弁護士や裁判所の仕事です。

しかし、私は法律の専門家ではありません。全くの素人です。それにもかかわらずこのような書物を書こうと決心したのは。四年半前に私たち夫婦は一九歳だった娘を交通死で失ってしまったからです。娘を奪われたことで、私たちは交通犯罪が今の日本でどのように処理されているかを否応なしに体験させられたからです。この書物の通奏低音は娘を奪われた親の怒りや悲哀や絶望やらであって、専門の学識ではありません。その意味で、これは交通事故を客観的に考察した書物ではありません。交通事故で娘を奪われた被害者という立場から、きわめて主観的に交通犯罪を考えたものにすぎません。

街の書店に寄ってみればすぐに確かめられることですが、交通事故の事後処理について専門家の書いた本は数多く見られます。そしてそれらは、加害者でも被害者でもないという意味で、客観的な立場から交通事故を論じているように見えます。しかし、それらの本は本当に客観的なのでしょうか。たとえばある本には、交通事故というのは「被害者になっても大変だが、加害者になったらもっと大変だ」と書かれています。そうなのでしさっか。事故で殺されるよりも、もっと大変な「生」があるのでしょうか。このような考えは、加害者の側に立たなければ決して出て来ないものなのです。

被害者の側からすれば、事故で失った生命は「総て」であり、いかなる代償によっても蹟われることのないものなのです。「死」よりももっと大変な「生」はありえないのです。どうして、被害者の神経を逆なでするこのような文章が書かれたのでしょうか。それは、この文章を書いた人が常日頃、車を運転しているからです。運転者は潜在的な加害者だからです。無意識にしろ、加害者として事故を眺めているからです。これは専門家の書いた多くの書物に共通した視点ですし。大多数の人々が持っている視点でもあります。このくるま社会では、潜在的な加害者であることが客観的である、ということになってしまっているのです。だからこそ、被害者の側からきわめて主観的に書かれた点に、この書物の特徴があるのです。

加害者ではなく被害者の視点から交通事故を考えるというのは、大切なことだと思います。交通犯罪には加害者が存在し、加害者が存在する以上は被害者も存在します。加害者だけしかいない交通事故というのは、ありえないのです。そして私たちが「くるま社会」に住んでいる以上、あなたのご両親が、あなたのお子さんが、そしてあなた自身が、明日、交通事故の被害者にならないという保証はとこにもないのです。

2014年7月22日火曜日

有効需要政策の限界

一九二七年の金融恐慌後も井上準之助蔵相によって、当時のグローバルスタンダードである金本位制復帰が追求され、一九三〇年に金解禁に踏み切った。と同時に昭和恐慌に突入していった。そして高橋是清による巨額の財政出動が実施されてゆく。いずれも今日とられている政策とほぼ同一である。そして最近浮上してきた国債の日銀引受けも高橋是清か始めたものである。我々は昭和恐慌の後追いをしていることになる。

眼を外に転ずれば、当時もイギリスのポンドを中心とする国際通貨体制が揺らぎ、日本の金融恐慌を皮切りにバブルが破綻して、その直後からアメリカの株価の急上昇が生じた。そして一九二九年一〇月末に、最後に残ったアメリカのバブルが弾けて大恐慌に突入していったのである。その間、世界的デフレが進んでいたのも今日と同じである。

「狼が来た」の類の議論は避けねばならないが、歴史の転換点という認識は不可欠であろう。そして歴史の教訓に学ぶならば、無防備なグローバルスタンダード論や単純な二分法的思考からデフレ効果の大きい「小さな政府」や規制緩和路線だけを追求していても、脱出口は見えてこないどころか、泥沼へと足を踏み入れてゆく危険性をはらんでいる。

他方で、ケインズ政策は効果を発揮しているだろうか。一九九七年以降、日本経済は連続してマイナス成長を続けている。こうした事態に対して、九八年度は二八兆円を超える大規模な景気対策が打たれたが、その効果は現われず、そのまま行けば三年連続のマイナス成長となる危険性が高まったため、さらに政府は九八年一月ニ八日に約二四兆円にのぼる緊急経済対策を発表した。しかし九九年以降も、失業率の悪化が続いている。明らかにケインジアンの有効需要政策も限界に達している。

この間、日銀が貸し渋りにあっている企業のCP(コマーシャル・ペーパ土を引き受けたり、開銀を通じた社債の引受け、信用保証協会を通じた融資枠の拡大、あるいは商工会議所の仲介を通じた財政投融資の中小企業融資機関(国民金融公庫・中小企業金融公庫など)による無担保融資など、節度を失いつつある金融政策、つまり変形された調整インフレ政策によって、かろうじて日本経済の底割れを防いでいる。事実上、これらは民間金融部門の不良債権を公的部門に移し替えているだけであり、将来にツケを貯め込む危険な政策といってよいだろう。

2014年7月8日火曜日

外国為替管理法の改正

ここに目をつけたのがNTTデータである。同社は一九八一年から自動照会通知システム「ANSER」のサービスを開始して以来、ネットワークの拡充に取り組んできた。ANSER-WEBはインターネット経由でANSERサービスを提供するもので、九六年から始めた。利用者はネットスケープーナビゲーターなどのブラウザーソフトを起動して、指定されたホームページにアクセスすればいい。接続しやすいことが特長で、残高照会、入出金明細照会、資金移動サービスなどが簡単にできる。

このサービス機能を一段と高めたのがANSER-SPCである。同社はこれを次世代のホームーバンキングーシステムと位置付けて、一九九七年から提供を開始した。ANSERISPCぱ安全性と信頼性をより重視しているためにNTTデータが管理している専用線を利用したネットワーク方式をとっているが、これに対応する家計簿ソフトを使って残高照会、入出金明細照会、振込、振替などのホームーバンキング取引ができる。マイクロソフト社が九八年七月にウィンドウズ98を発売したが、このときに同時発売した「マイクロソフト・マネー」の日本語版をANSER-SPC対応にした。そこで東京三菱銀行は、マイクロソフトーマネーの基本機能に独自機能を加えたカスタマイズ版を通信販売で個人顧客に提供することにした。

ATMが普及した現在、個人顧客が銀行に足を運ぶ目的の大半ばATMを利用するためだといっていい。しかし、いまやそのために、わざわざ銀行まで出掛けなくても、家にいながらにして、しかも好きな時間にATMのサービスを受けることができる。それどころか、金利や外為取引の案内、年金やローンの相談、融資受付などATM以上のサービスが可能なのだ。いまやパソコンが、銀行の窓口にとって代わったのである。NTTデータは、エレクトロニックーバンキングの将来をも視野に入れて「3M政策」を掲げている。

外国為替管理法が一九九八年四月に改正された結果、お金には国境がなくなった。企業会計の分野では従来の日本独自の企業会計原則はもはや通用せず、多通貨会計、時価主義会計、連結決算主義会計という国際的にも通用する方式に否応なく転換していかざるを得ない。ANSERには、多通貨に対応した自動仕分け、自動時価評価、外貨取り扱い基準の統一による自動連結処理などを実現するための対策が盛り込まれている。

2014年6月23日月曜日

被保険者の種類

公的年金の加入は強制加入です。加入者は三種類に分けられます。基礎年金としての国民年金だけに加入している人を、第一号被保険者といいます。厚生年金や共済年金など被用者年金に加入している人を第二号被保険者といいます。第三号被保険者は、第二号被保険者の配偶者で被扶養者扱いになっている人です。被扶養者とは、健康保険と同じで、年の収入が百三十万円未満の人をいいます。第}号被保険者には、自営業者や農家などが加入しています。加入者数でいうと第二号被保険者が圧倒的に多く、民間企業で働く人や公務員など働いている人はすべて加入しています。

第三号被保険者は主に専業主婦が加入しています。一九八六年改正で基礎年金が導入されるまで、専業主婦は国民年金に任意加入していました。女性の年金権確立のため、保険料負担なし、届出だけで第三号被保険者となる途が拓かれました。現在では、第一号被保険者、第二号被保険者の保険料を支払っている女性の間から、保険料負担なしで年金がもらえるのは不公平だという声があがっています。この問題は、収入のない人の社会保険料負担はどうすべきか、という難しい問題をはらんでいます。厚生労働省では、女性と年金に関する検討会を設置して、二〇〇〇年から検討を開始しています。

いったい公的年金では、いくらくらいもらえるのでしょうか。保険料を払った期間と賃金(正確には標準報酬月額)の違いが、老後の年金額に反映する仕組みになっているので人さまざまです。厚生省では四十年加入を前提に、モデル年金額を出しています。

厚生年金ですと、四十年加入、配偶者が基礎年金だけの場合のモデル年金額は、約二十四万円です。これは、従前賃金(その人が勤務期間中にもらっていた賃金)の平均額の約六八%に達しています。公的年金だけで、これだけの額が保障される仕組みになっているのは評価すべきことでしょう。諸外国と比較しても遜色がないどころか、むしろ高いほうだといえます。

2014年6月9日月曜日

コレステロールの持つ意味

「高脂血症」という言葉は血液中の脂肪の濃度か高い病態を意味しています。脂肪とは、多くの動物や植物の体内にある油のことで、食物に含まれる脂肪は、炭水化物、蛋白質とともに三大栄養素となっています。食物中から摂取している脂肪はほとんどが吸収率の高い中性脂肪です。

組織や細胞への栄養素の搬送機関となっている血液は、大きく分けると二つの成分から成り立っています。一つは赤血球、白血球、血小板のような血球成分と呼ばれるものです。もう一つは、糖質、蛋白質、脂質(脂肪)、塩分などを含む水分である血清成分です。血液を試験管の中に入れて遠心分離すると、上部に透明な黄色みを帯びた上澄みの部分が出来ますか、この上澄みの部分が血清です。

このように、血清成分は血液のなかで血球を浮遊させ、いろいろな物質を溶け込ませている成分ですが、この中に含まれる脂肪分のことを血清脂質と言います。血清脂質はかたちや機能の面から、大きく分けると、コレステロール、中性脂肪、リン脂質、脂肪酸(遊離脂肪酸)の四種類が存在します。

コレステロールは、私たちの体内の六〇兆個にも及ぶ細胞の膜の部分に分布しています。したがって、細胞の数の多い臓器である脳や肝臓などの組織に多く存在しています。コレステロールについては、とかく悪いイメージが先行しがちですが、コレステロール自体は細胞膜の素材として体にとってなくてはならない存在です。

体内にあるコレステロールは、食事から摂取したものだけでなく、体内でも合成されています。コレステロールをつくる臓器はおもに肝臓ですか、それ以外にも小腸、皮膚、副腎などでもつくられます。平均的な食事からとっているコレステロール量は一日三〇〇ミリグラム程度ですが、体内でつくられるコレステロールの量はおよそ三倍にのぼります。

このコレステロールには、遊離型コレステロールとエステル型コレステロール(コレステロールーエステル)の二つのタイプかあります。遊離型コレステロールは主に細胞膜をつくる原料になります。エステル型コレステロールは体内にコレステロールか不足しないようにスペアーとして貯蔵されているコレステロールです。血清中のコレステロールの八○%以上がエステル型コレステロールです。見方を変えると、血清はコレステロールの貯蔵所ということにもなります。

2014年5月23日金曜日

「崩壊」をうながしたもの

この頃の邦銀の国際競争力の基礎はこういうことであった。低利の資金量の力である。アメリカ人は、朝鮮戦争のとき中国軍が鴨緑江を越えて津波のごとくなだれ込んできた様、あるいは西部劇でのインディアン襲来の情景を思い浮かべたのではないか。ジャパンマネーの奔流。金融技術や情報収集力が強かったわけではない。それをわれわれは、日本的経営の力と思い込んでいたところがある。

だから、不良債権の痛手と円安で、この量的な強みが逆転したとき、日本の金融機関の国際競争力は見る見る低下していった。当然の成り行きである。いま起っている事態は、日米逆転ではなく、質的な意味での実力としては、もともとこんなものだったのである。数年前にいかにも日本の金融界がアメリカをしのいだなどと思っだのが誤解だったのだから、いま後塵を拝しているからといって悲観しすぎることもないのだ。

バブルの発生を避けられればよかったのはもちろんであるが、せめてバブルの崩壊過程をもっとうまく乗りきれなかったのか、との指摘もあろう。崩壊過程における当事者の一人として、そのような反省も数々ある。

日銀は、八七年二月以来史上最低の異常な公定歩合が二年以上も続き、引上げのきっかけを探り続けていたが、先に述べたような各般の情勢から、なかなかそれを見つけ出すことができなかった。ついに八九年五月に政策転換ではないとのコメント付きで、公定歩合の引上げに踏み切った。当時は地価の異常な高騰が全国的に広がりつつあり、国民の間に資産保有の有無による不平等拡大への不満が高まりつつあった。

そのような社会の空気を背景にして流れが変わり、この頃からバブルつぶしの競争が始まった。ジャーナリズムの間にもバブルつぶしの先陣争いが起り、政治家や政策当局もその流れに乗ることになった。日銀は一年あまりの間に五回、合計三・五%に及ぶ急激な公定歩合の引き上げを行った。日銀総裁はバブルつぶしに大ナタを揮う「平成の鬼平」と賞賛される。

2014年5月2日金曜日

経済社会の掃除屋としての役割

このような買収・合併の手口のほとんどはいわゆる非友好的M&Aのケースである。ムラ社会的考え方で乗っ取り屋を社会的に蔑視したり、会社は経営者と中間経営者と従業員のモノと見る傾向の強い日本では、非友好的買収・合併とはそのほとんどのケースが経営失敗のあげく被合併会社側全員泣く泣く悲運を甘受するという事例がむしろ一般的である。

経営体は一箇の社会的資産と考え、所有・経営が分割され、会社帰属心に乏しい従業員や中間経営者層を多く抱える欧米型企業では、M&Aはむしろ資本・人・経営資源の効率化の推進を社会的に保障するシステム、あるいはムレから脱落する弱者の社会的自然淘汰と考える傾向がある。

コーポレイト・トレーダーはむしろ経済社会の「掃除屋」であり、ハイエナやハゲタカ的な積極的役割をもつとの肯定的考え方もありうる。それゆえ彼らへの資金供給が何か反社会的・非倫理的な金融機関行動とは考えないという風潮もあるであろう。

その意味で、世界的合併・買収案件に必ず顔を出すのはロンドンのマーチャント・バンカーたちや一連の著名なニューヨークのインベストメント・バンカー各社である。

つまり、顧客の極秘の内情やニーズにあらかじめ精通し、株式・債券・為替・技術・経営方針・製品・経歴・社会的地位等について該博な経験と知識を擁していて、そこで初めて可能なフィー・ビジネスがM&Aである。

日本でいえば旧財閥系の本社の関連企業総括部あたりの機能であるのであろう。八六年中、米某証券の推定によれば、米国の主要合併・買収三、九〇〇件、三、七三八億ドルに比して、日本のM&Aは二二三億ドル(三・三兆円)の規模とみられている。

会社・顧客自体の売買とは、もしそれが金融業者のイニシアティブで始まる案件であれば、まさに金融業者が真にフィナンシェール、または本来のバンカーとしての行為であり、純粋な意味でのコーポレイト・ファイナンシング・プランナーの精髄であろう。

2014年4月17日木曜日

必ず何かいいものがある

なにかショッキングな事件に遭遇して、考えが変わった、などというようなことは思い出せない。けれども。一つには年のせいでもあろうが、戦争と軍隊のせいで、かなり変わったと思っている。二十歳ぐらいまでの私は、甘やかされた、世間知らずの、医者の子であったが、若さのせいもあり、ムキになって自分の国の大人たちを非難し、反発していた。

その大人たちに素直に順応して、立身出世の道を進む級友も批判していた。そういう若者だったから、私はたちまち当時の社会から転落してしまい、結局、軍隊にとられて、下級兵士として戦場に送られたのであったが、戦後、あのころの自分は、純真だったともいえるけれど、単細胞で視野が狭く、思考が浅かったな、と思った。

理想と現実が一致しないからといって、たちまちバランスを失って墜落し、硬直し、絶望していたのである。だか、理想と現実が一致することなどあるわけがない。個人の思いは個人の思いとしてあるだけであり。動かぬ現実というものがある。その現実を批判するのは個人の思いであり、自由だが、人は生きている限り、いかさまに満ちた現実と付き合って行かねばならないし、その付き合い方の中に、自分の生き方を選ぶしかない。

それが自分の現実である。それを拒むなら自殺するしかない。実は私は、あのころ死にたかったが、死ねなかった。現実の強さというものをいやというほど思い知らされ、私は自分の無力を認め、そのあたりから、私はかなり変わったと思っている。けれども、それは、ある自分に出会ったことなのか。なにかを得たことなのか。それとも単に、なにかを失ったことなのか。まだよくわからない。
                      
岸田國士先生が亡くなったのは、昭和二十九年(一九五四年)であった。享年六十四歳。あれから四十五年。当時三十四歳であった私は、今、七十九歳である。今の私は、あのころの先生より十五年も年長の老人だが、先生を思い出しているときの私は三十代である。あのころの自分を振り返ると。オレは、まだ戦争ボケ状態だったなと思う。

今の私だって相変わらずのところがあるが、私は社会や組織の中に、バランスよく自分を据えることがド手である。けれども今は、自分を第三者の目で見て、批判ぐらいはしている。しかし二十代ぐらいまでの私には、そういう思いもなく、職場に対して、会社に対して、自分の稚なさや愚かさを棚に上げて不満に思っていた。