2015年6月11日木曜日

大きな悩みは睡眠障害

「子供のころから何でも途中で投げ出すのが嫌だった。気合と根性があれば乗り切れると考えてしまう性質です。うつは、精神的に強い弱いではなく、誰でもかかる病気。かえって、精神的に強いと無理してなる病気じやないですか」佐藤さんは、一歳年下の奥さんと小学生の娘さんと三人で、五年前に購入した3LDKのマンションに暮らしている。奥さんとは、本屋のアルバイトで知り合い、一年前に結婚した。「何でも頼りにできる人だった。この人なら大丈夫と安心して結婚したので。まさか主人が、こうした病気にかかるとは思っていませんでした」

奥さんは最初、一日中寝ている夫のことが理解できなかったそうだ。今では、うつのことをいろいろと勉強して、力になりたいと考えるようになった。発病当初、食卓で家族の会話が仝くなくなった。重苦しい雰囲気を察して、小さな娘が明るく振る舞ってくれたという。現在は、休職中に出る給料の六割程度の傷病手当金と、奥さんのパートによる収入が生活を支えでいる。しかし、奥さんは「この先、どうなるかわからないし。料理もなるべく手作りで安く上げようとしています」と話した。

佐藤さんは、抗うつ剤などを一日に七種類二〇錠を服用し、二週間に一度通院している。今の大きな悩みは睡眠障害で、寝てもすぐに目が覚めてしまい、家族との生活のリズムも崩れてしまうことだそうだ。佐藤さんが「捨てられないものがある」と引き出しから封筒を取り出して、見せてくれた。表には、「三日間連絡がなく、帰ってこなければ開封して下さい」と書かれていた。遺書である。これを書いたのは、発病して七ヵ月後のことだ。なかには「今日ベランダから飛び降りたい衝動にかられ、必死に抑えました。(中略)もし死んでもマンションは残ると思うので、それを売って新しい人生を歩んで下さい。(中略)娘を普通でいいから、元気に育てて下さい」などと記されていた。

「もう、必要ないでしょうから」と佐藤さん。最近ようやく、近所の公園まで散歩に出かけられるようになった。だが、残された休職期限はあと半年に迫っている。それまでに復職できないと、解雇されてしまうのだ。家族の将来を考えると、何とか今の会社に復帰したいと、佐藤さんは通勤の訓練を決心した。実に、一年四ヵ月ぶりに電車に乗るのである。通勤の訓練を始める日、佐藤さんは前の晩一一時に床に就いたものの、夜中の一時には目が覚めてしまい、ほとんど眠れなかった。朝パートに向かう奥さんも「仕事がなければ付いていきたい」と心配そうである。

かつて飛び込みそうになった電車。すし詰めの車内でかいた冷や汗。眩量や嘔吐。胸の圧迫感。佐藤さんはそうしたことを思い出して、パニックになるのではという不安と闘っていた。ついに電車に乗り込む。会社の最寄り駅まで三〇分。好きなクラシック音楽を聞いて、気を紛らわせる。どうにか、最寄り駅までは着くことができた。「最初はやっぱり心臓がパクパクした。一駅過ぎたくらいから落ち着いてきて。やっぱり早く復帰できるようにしたいなあと思います」そう話した佐藤さんだが、まだ会社の前まで行くのは無理だった。佐藤さんの「心の病」との闘いは、まだ続く。