2012年12月25日火曜日

教育の効果と影響力

性的関係のあり方についても、比較的偏見が少なく、男性同士、女性同士、異性間の性愛、すべてが容認されていた日本のやり方が、異性間の性愛でなければ、人間としてのモラルに反するものとされるようになったのも西欧の影響である。明治の為政者たちはこれら西欧のやり方を、進んだ技術をもたらす優秀な思考方法として、人生観や夫婦観、さらには行動の規準、暮らし方、歴史など文化のまったく異なる日本へそのまま適用して、西欧に追いつき、追い越そうと考えた。さらにそれらの考え方は、一八七二(明治五)年に全国規模で作られた学校教育制度(学制)によって、全国津津浦浦の子どもたちへも伝達された。

誰もが教育を受けられるようになった効果は計り知れない。識字率が向上し、人々は過去の書物の内容や、新しく研究されたことを、いなからにして知ることができたし、それを自分の考えにプラスして発展させることができた。しかし、その輝かしい効果の一方で、教育が人々の認識を大きく変える力を持つことは忘れられがちである。その影響力とは、次のようになる。

全国津津浦浦まで国民すべてに同じ思想を伝達して、すべての人が同じ方向に向かって考えるようになったこと。最初は「そうかなあ?」と疑問視していても、毎日毎日、子や孫にまで代々その思想が与え続けられると、人々はそれが最初、自分たちの心の片隅で疑問視したものだったことを忘れてしまうし、いつの間にか自分の思想へと取り込んでしまうこと。それまでほとんどの知識が、個々人の体験を基本として会得されていたのに、教育制度が実効しはじめると、正統な知識とは、国が定めた教科書中に書かれた知識となってしまったことにより、専門家とは一番多く正統な知識を持った人、つまり、長期間より高度な学校教育を受けた人となり、専門家は誰よりも専門項目について「正しい判断」のできる人だと国も認め(「免許」授与)、人々も認めるようになったこと。

教育によって狭められた最大のものは、人々が伝えて来た体験による体感的知識だと思う。例えば、死者を北枕にするのは、釈迦の涅槃図からだと、ほとんどの人は考えている。私もその一人だった。しかし、藤井正雄氏が「頭を北側、顔を西側に向けて側臥すること」は頭寒足熱や内臓の位置に照らして大変合理的で、「おしゃかさまがからだのぐあいが悪くなったから一番リラックスしたいい姿勢で寝たんだと思います」(『からだ』弘文堂)と言っているのを読み、そう言えば明治以前には日本にも、そういう身体の感じ方に従うやり方が正しいこととされ、またそれを自分が感知できることも正統とみなされる精神風土があったのだったと、改めて思い起こした。

そして、なぜ現在のように、体感的知識が狭められたかと言えば、教科書に書いていない、いや書けない知識だったからだろう。さて、これまでのところで知ってほしかったことは、明治の初めにあって日本の切実な西欧吸収熱と、同時に当時の西欧社会が、自身でも予期しなかったほどの強烈な「科学性」指向へと転換していった時代であったこと。これら二つの偶然の重なりが、日本における価値基準のあり方を、それまでの体験をもととした「日常性」や、心と身体の調和の重視という大変人間的なものから、書物に記載可能な「科学的」知識の偏重へと、強力に方向転換していったこと。さらにそれらの新しい「大切なのは科学性」という価値観は、学校教育制度を通じ、全国津津浦浦の子どもたちへ、その普及と定着に従って浸透し、人々の価値観を大きく支配したことである。