2013年8月28日水曜日

米軍基地を観光施設にすべき

その文化とは、首里城のようなシンボリックな建造物ではなく、家は小さくとも、そこに住む人が、これが俺の町の伝統だ、歴史だと誇りを持つことからはじまる。今の沖縄は、「オキナワ」という幻想に酔った「ナイチャー」がやってくるだけだ。沖縄の本土化かもっと進めば、さすがに彼らも幻想であることに気づく。そうなれば、欧米人観光客どころか、日本人だってうんざりすることだろう。基地をなくしたければ外国人観光客を増やせ沖縄にとって米軍基地は、経済的にも文化的にも、さらに住民の精神面にも大きな影響を与えている。大量に軍用地を所有している一部の住民や、基地経済のおこぼれにあずかっている人を別にすれば、大半の県民は早々に立ち去ってほしいと願っていることは言うまでもない。

米軍基地の存在は、住民の身体への危機をともなう。普天間基地がある宜野湾の近くでお茶を飲んでいると、戦闘機やヘリが建物を屋根をかすめるようにして飛んでいくのを目にする。高台に昇ったらパイロットの顔が見えるのではないか、いや、石を投げたら当たるのではないか、そう思えるような低空を飛んでいくのである。もちろん凄まじい爆音である。那覇空港の南側に浮かぶ瀬長島にいくと、離着陸するジェット旅客機の胴体が間近に見られる。これを見に来る航空マニアはひきもきらず、いまや人気スポットになっているが、宜野湾は瀬長島とはまったく違うのである。

瀬長島はヽ長く弾薬庫として使われたため、住民が追い出されて現在も無人島に近い。しかし、宜野湾には九万人強の住民が住んでいる。操縦しているあの連中が、降下中にくしゃみでもしたら住宅地に墜落するんじゃないか、そんな恐怖の中で生活しているのである。実際、それが現実になったのが、沖縄国際大学の本館に米軍ヘリが墜落炎上した事件(〇四年八月一三日)だろう。このとき米軍は日米地位協定をたてに、墜落した機体から墜落現場の土壌まで回収してしまい、日本の住宅地に墜落しながら日本はまったくの埓外におかれた。こんな不条理なことが許されるのは、世界でも日本ぐらいだ。この米軍ヘリ墜落に対し、主催者発表で三万人の抗議集会が開かれたが、最近の抗議集会はかつてのような、大きな盛り上がりは見られなくなっている。どうあがいたところで、どうにもならない諦観のようなものが人びとの心に巣くいはじめたのかもしれない。

実際、これまで沖縄県民がどれほど反対しようと、米軍基地がなくなる気配は微塵も見られなかった。反対運動が広がればカネをばらまくという、日本政府自体がアメリカの手足になって姑息なことをしているのだからどうにもならない。チベット亡命政府が中国に「高度な自治」を求めても、一蹴されてきたのと同じ構図である。問題が起これば巧妙に禰縫策をとる。だから米軍基地はどんなに騒いでもなくならない。では、やはり諦めるしかないのだろうか。可能性があるのは国際社会に訴えることだ。むろん沖縄県は日本を代表する政府ではないから、霞が関を頭ごしに訴えることはむずかしいかもしれない。それなら、国際社会に影響力のあるヨーロッパやアメリカの観光客を沖縄に呼ぶことだ。そして、基地とその周辺を「観光」してもらうことである。

沖縄県の面積の一一%もが米軍基地に占領され、それも市街地のど真ん中にあって、住宅街の上空をわが物顔に飛び交っている光景を見たら、彼らは平然としていられないはずだ。おそらく口から口へと、沖縄の異常事態が世界に伝えられ広がっていくだろう。そうなれば、当然日本政府もアメリカ政府も世界中から批判を受ける。北京で欧米観光客に人気があるのは、帽児胡同と言われる昔ながらの町並みだが、私なら、普天間基地や嘉手納基地のそばに、帽児胡同のような古い沖縄の町並みをつくり、そこに欧米観光客に泊まってもらって米軍基地を肌で体験してもらう。きっと彼らは、沖縄の痛みを世界中に吹聴してくれるだろう。沖縄は、今すぐ米軍基地を観光施設にすべきなのだ。