2015年12月11日金曜日

経営者の責任追及問題

この問題の解決策としては、根本的には郵貯民営化しがないであろうが、今の政治情勢ではそれが直ちに実現するとも思えない。相当な混乱を起こしながらも民間金融システムの改革をここまで進めた現在、最大の課題は公的金融制度の改革であるかもしれない。

金融機関の破綻は不愉快な出来事である。昨日まで大きな顔をして上座に座っていた銀行を、多額の税金を使ってまで救済するなど、とてもガマンできない。多くの時代劇で、最後は金貸しと役人が切って捨てられることになっているのは、特にわが国ではこの両業種が国民的不人気の対象であるからだろう。

そういう背景もあって、金融機関の破綻処理と厳しい責任追及とはどの国でも切り離せない問題となる。国会論議でも、「アメリカのS&Lの経営破綻に関しては二千人以上の刑事責任が追及されているのに、わが国では追及が手ぬるいのではないか」との質問が数多くあった。アメリカの大恐慌の後に設けられたペコラ委員会(上院銀行通貨委員会の中にペコラ元検事を中心に設けられ、銀行・証券会社の道義的に不正な行為、贈収賄・脱税などを糾弾した)と同様の委員会を設けるべしとの意見もあった。

アメリカにおいては、破綻金融機関の経営者などに対し、不正行為や重大な過失の存在を理由に、刑事上、民事上の厳格な責任追及がなされている。もともとアメリカの連邦刑法では、金融機関の経営者・従業員の行う詐欺的行為、横領などに対しては、一般人よりも厳しい罰則を適用している。その上さらに、八九年に成立した「金融機関改革救済執行法」などにより刑事、民事上の罰則、制裁金規定が強化された。

一方わが国においては、一般刑法により、詐欺・横領などに対する罰則は金融機関経営者も含めたすべての者に等しく適用される仕組みである。このあたりに、前に述べた金融システムにおいて性善説と性悪説のどちらを前提にするかの違いが反映されているように思う。

2015年11月12日木曜日

経済にプラスとなるが、環境には打撃を与える

原油や他商品の価格が暴落したことは、それらを消費するヨーロッパや日本、それにアメリカなどのすべての富裕国、さらに中国にとっても朗報であった。エネルギーや他の原料コストが大幅に引き下がることは、あたかも私たちの税金が軽減されるようなものだからである。コストが下がれば、誰しも暮らし向きが良くなる。世界が不況に陥って以来、それほど生活が楽とは思えなかったが、実際は良かったのである。もし、原油や銅、それに他資源の価格が二〇〇八年半ばのままであれば、世界的経済不況は、より深刻になっていたに違いない。

しかし、この価格暴落は。環境問題には悪い知らせとなった。多くの人は、企業や世帯が道徳心や政治的理念から、より環境に配慮した(クリーンな)製造法や生活様式をとるものと考えがちだ。というのも、企業や世帯は、世界を地球温暖化から救い、より住みやすい場所にしたいと、思っているからである。だが、このように考えるのは甘すぎる。私たちのほとんどが、道徳心や政治的信念から環境に配慮すべきだという思いでいられるのは、数時間ないしは、せいぜい数日間である。その後は、自分たち本来の生活に入り、限られた収入と富を最大限に活用し、入手できる価格やテクノロジーを利用して、競争に負けじと精一杯の努力をする。

これを変えるために、何をすべきか、また、どのような行動をすれば良いか。この点について、長い目で見ると、次の二つの方法しかない。それは、価格と強制、つまり、値上げが与える影響と、異なった行動を強いる新法である。イラクに侵攻する前、一バレル当たり三〇ドル以下だった原油価格が、二〇〇八年六月に一バレル当たり約一五〇ドルに高騰したことは、消費者や産業にとって大きな痛手となった。しかし消費者はそれに素早く反応し、運転を控えて家の断熱性能を上げ、暖房を控えた。また、企業にエネルギーを節約する方策を考えさせた。

アメリカでは、ガソリンを浪費するピックアップートラック(ボンネットがあり、後ろの座席を荷台とした軽量トラック)と、スポーツカーの市場が崩壊した。すべての先進国では、ガソリンの消費を減らし電気で稼動する、トヨタのプリウスや、他のハイブリッド車が驚異的な売り上げを見せ、成功を収めた。同時に、自動車メーカーやその他の企業は、電気モーターや、より高性能の電池などの新たな技術の研究開発に、多額の投資をするようになった。さらに、他の再生可能、または、少なくとも非化石燃料のエネルギー源である、風、太陽光、潮流に加え、あらゆる種類のバイオ燃料への投資が促されたのである。

しかし、中国やインド、その他の発展途上国は、このような反応を見せなかった。すなわち、企業や世帯が、高価な化石燃料を他のエネルギー源に代えたり、燃費の良い車を購入することはなかったのだ。それはヽ政治的な理由からであるぺこれらの国ではヽ燃料小売価格が規則や補助金で抑えられており、資源高騰による衝撃は、消費者や企業に転嫁されず、主として政府財政に吸収されたのだ。しかし、これは政府にとってあまりにも大きな負担となったので、それを再び行なうことはないだろう。いずれにしても、世界的金融危機に直面して財政赤字が増えているので、政府にそんな余裕はない。

2015年10月12日月曜日

公益法人の指導監督基準

これに関連して次のような抽象的な記述があるにすぎない。「郵政事業の利用者に対する便益の増進に資する事業」「本会の目的達成に必要な事業」。つまり、郵政弘済会が複数の営利企業の大株主として、郵政省から独占的に請け負った郵便局の清掃などを子会社に丸投げし、法外な収入を得ていた事実はこのように覆われてきたのである。

公益法人の指導監督基準により、公益法人は原則として営利企業の株式保有を禁じられ、九九年九月末までに保有株式の処分が義務付けられた。結果、同財団は自らの保有株を処分し、グループ企業に引き取らせた。表向きは指導監督基準に従いながら、別の郵政省関連のファミリー企業に株式を保有させることで郵政ファミリーが依然、天下り先の系列企業を実質支配している形だ。

郵政弘済会は二〇〇〇年度(九九年一〇月―ニ○OO年九月)の当期収入が支出を一億六〇〇〇万円超上回る七八六億五一八四万円に上った。職員数は三五二人だから単純計算すると、一人当たり約二億二三〇〇万円の収入を上げていることになる。これは企業でいえば、ソニー(単独)の一人当たり売上額二億三五〇〇万円=二〇〇〇年三月期)を七倍近く上回る異様なまでの高収入体質だ。これも親元の郵政省と結んで事業を独占しているせいである。

このうち「収益事業」収入は、三五八億一四一九万円と計上された。こうした法人収入に対し、公益法人であるために法人税が「公益事業」に対しては免除、「収益事業」に対しては軽減されているのである。

この収入源に、子会社への丸投げから得た約六〇億円の郵便局の清掃収入が含まれている。郵便局の清掃を下請けさせていた子会社の一つは、財団が株式を保有していた「とうび(旧名・東京郵弘)」という無名の小企業だ。こういうファミリー企業の経営陣に郵政OBが天下りしていることは言うまでもない。

2015年9月11日金曜日

三年で消えた七〇年の成果

アメリカの債務国転落の衝撃は、そのテンポをみれば容易に想像がつく。アメリカは一九一四年に債権国になった。その年以降、アメリカは経常収支黒字累積国になったのである。そして第二次大戦後は世界最大の債権国として君臨し、八一年には史上最高の一四〇九億ドルの対外純資産を記録し、八二年にも一三六七億ドルの純資産を保有していた。約七〇年間の経常収支黒字累積の成果である。

ところが、純資産は、八三年に八九〇億ドルに減少した後、八四年にはわずか三三億ドルに激減し、八五年にはついに一一一四億ドルの債務超過となり、世界最大にして史上最大の債務国に転落したのである。一〇〇〇億ドルを超える史上最大の債権国が、わずか三年間で一〇〇〇億ドルを超える債務国に転落したということは、約七〇年間に蓄積した経常収支黒字の倍にのぼるような経常収支赤字をたった三年間で記録したということにほかならない(ちなみに新統計[七三ページの注参照]によれば、八二年をピークとする純資産がほぼ消滅したのは八六年であった)。そしてその後もアメリカの経常収支赤字は継続し、対外債務は増え続けた。

このことは、アメリカが八四年以降、毎年一〇〇〇億ドルを超えるような経常収支赤字を出し続けたということ、つまりそれだけの額の国内購買力が年々海外に流出し、GNPの足をひっぱってきたということである。こうして、八〇年代後半に、国際的不均衡は、かつての貿易摩擦のたんなる量的拡大の域を超えて、アメリカ経済の、したがってまた世界経済の死活の問題となったのである。

戦後、世界各国はアメリカ経済とドルに大きく依存することによって経済を拡大してきた。戦後初期にはマーシャル援助などのアメリカの対外援助が、五〇年代以降は。世界の憲兵としてのアメリカの対外軍事支出とアメリカ系多国籍企業の進出(資本輸出)によるドル散布が、各国の外貨(ドル)不足を緩和し、戦後復興とその後の高成長を準備した。

2015年8月17日月曜日

下請企業間の競争

このような技術を維持することが本当によいかどうかぱわからない。アメリカの企業は以前から企業内で自製部品を製造する割合が高いことで知られる。このために、製品の品質を維持することができず、コス上局となって国際競争力を失ってしまった。もちろん部品工業は存在するが、日本のような全面的依存ではない。日本産業の競争力が強くなったのも、円高を前提として品質と価格を維持してきたことによる。これは、下請企業間の競争によって生みだされたのであり、下請企業を維持するための政策などが行われれば、現在の技術を維持することにならなくなる。政策的に現状維持することを始めたとたん、技術の発展は停止することになる。

確かに、一旦崩壊した産業の復活は非常に難しい。産業は継続して技術を維持しなければならない。しかし、問題はこれに対する適切な政策が存在しないことである。為替レートを制御できると考える者は今日誰もいない。かってのIMF時代のような固定為替レートを維持することは今日では期待できない。アメリカの経済政策の転換が円高を落ち着かせる基本であるが、いずれ転換せざるをえないとしてもすぐには期待できない。

すなわち、いずれにせよ構造変化を防ぐ方法はなく、先に述べたように本当に比較劣位の産業を早く空洞化させることによって、競争力のある産業を空洞化させないことが求められる。農業や特定のサービス産業など生産性の低い産業(もちろん製造業にもあるが)を温存させていることが、本来競争力の強い産業を空洞化させていることに注目しなければならない。政府にできることは、このような生産性の低い産業の一日でも早い空洞化である。すなわち、これらを維持しているのは規制であり、規制緩和が政府の仕事として求められる。

そして、円高に対応して産業構造を変えていかなければならないのと同様に、技術も変えていかなければならない。日本にできたことが途上国にできないはずはなく、いずれ追いつかれる。円高でも競争力のある技術開発を行っていけるかどうかが今後の日本経済の将来を左右する。活発な企業家精神でイノベーションを引き起こしていくことが重要である。独創的技術の開発こそ日本経済の生きる途である。このための改革を民間でも政府でも積極的に行ってゆく必要がある。

2015年7月13日月曜日

民主主義の世界化

表面に出る奥野的あるいは中曾根的な歴史観や国家主義と、いまの若者の間にジワジワと浸透している大国主義や自己満足との間が、教育というものでつながれているという印象を禁じえないのです。教育ベルト、教科書ベルトのもつ重さは決して過大視しすぎることはないというのが、私の実感です。今日の日本の、方向不明の国家主義も、古い問題ではなく、古くて新しい問題として取り組まなければならないと思います。

それは換言すれば、日本における自由とはいったい何なのだろうかという問題です。歴史上、国家とか権力とかとのきびしい緊張関係に立ってきたのは、「自由とは何か」という問いでした。この問題を日本の若者自身がもう一度考える必要があるのではないか。少し注意して見れば、時に常軌を逸するほどの日本のマスーメディアの過当競争の影響ひとつとっても、自分たちは操作の対象にされているのではないかという意識をもつきっかけはたくさんあるはずです。そういう中で、日本の見えざる権力構造をもっと自覚化していく作業は十分できると思うのです。

こうした日本の異常さを自覚するのに、かつては欧米社会だけが引照されることが多かったのですが、今日では第三世界を体験することによって、日本を逆照射する機会をもった若い人々もふえています。そういう体験が日本を考え直す力となるはずです。しかも第三世界体験は、日本社会自体の国際化に伴い、日本そのものの内部でも起こるように、急速に変わってきています。いままでは東南アジアに行ってショックを受けたといった体験を契機に、日本を考え直すことが多かったのですが、このごろは外国人労働者の問題などもあって、日常的に日本社会の中で、日本人や日本社会を逆照射し、日本のありようを考えさせられることが少なくないわけです。

それに、実はこうした変は日本だけではなく、世界的に起こってきているのです。一民族だけから成る国家など、東西南北を問わず世界のどこにもないと言っていいのです。異なったエスニックーグループがどの国にもあるわけで、だとすれば、どのようにしてこれらの集団が対等に、しかも多様性を保持して共生していくのかというのは、文字通り世界問題なのです。異民族間の平和共存は、これまで主として国家間の「国際」問題と考えられてきました。しかし今日では、少数民族やエスニックーグループ間に「民主主義の世界化」が浸透した結果、この「国際」問題が、「国内」で異なった民族・文化集団がどう平和共存し共生していくかという身近な問題に、直結することになった。逆に言えば、この日常生活の問題を解いていくことが、また世界的な規模での人間や民族の対等性と多様性に立脚した平和を創っていくことと、不可分につながっているのが現代なのです。

これは基本的には人権の問題に帰着します。そして人権との緊張で、入国管理とか警察とかのあり方を究明していけば、結局国家の暴力機構にぶっかるのです。今日、兵器体系や軍隊は、とくに先進国では、日常的に可視性をいちじるしく減じています。ですから「軍事化」という問題も、軍備とか戦争といった角度だけからでは、想像力を駆使しない限り、日常的には見えにくい。しかし他面、具体的にいま人権がどういう状態にあるかということから入っていくと、国家権力は鮮明に意識されてきますし、そうした文脈の中で、権力の軍事化、ひいては世界政治の軍事化の構造も、強く意識されるようになります。一見迂遠のようですが、このようにして、軍事化のもつ意味を日常的に理解することが実は本筋であり、これは若い人にとどまらず、私たち大人も心しなければならない点だと思います。

2015年6月11日木曜日

大きな悩みは睡眠障害

「子供のころから何でも途中で投げ出すのが嫌だった。気合と根性があれば乗り切れると考えてしまう性質です。うつは、精神的に強い弱いではなく、誰でもかかる病気。かえって、精神的に強いと無理してなる病気じやないですか」佐藤さんは、一歳年下の奥さんと小学生の娘さんと三人で、五年前に購入した3LDKのマンションに暮らしている。奥さんとは、本屋のアルバイトで知り合い、一年前に結婚した。「何でも頼りにできる人だった。この人なら大丈夫と安心して結婚したので。まさか主人が、こうした病気にかかるとは思っていませんでした」

奥さんは最初、一日中寝ている夫のことが理解できなかったそうだ。今では、うつのことをいろいろと勉強して、力になりたいと考えるようになった。発病当初、食卓で家族の会話が仝くなくなった。重苦しい雰囲気を察して、小さな娘が明るく振る舞ってくれたという。現在は、休職中に出る給料の六割程度の傷病手当金と、奥さんのパートによる収入が生活を支えでいる。しかし、奥さんは「この先、どうなるかわからないし。料理もなるべく手作りで安く上げようとしています」と話した。

佐藤さんは、抗うつ剤などを一日に七種類二〇錠を服用し、二週間に一度通院している。今の大きな悩みは睡眠障害で、寝てもすぐに目が覚めてしまい、家族との生活のリズムも崩れてしまうことだそうだ。佐藤さんが「捨てられないものがある」と引き出しから封筒を取り出して、見せてくれた。表には、「三日間連絡がなく、帰ってこなければ開封して下さい」と書かれていた。遺書である。これを書いたのは、発病して七ヵ月後のことだ。なかには「今日ベランダから飛び降りたい衝動にかられ、必死に抑えました。(中略)もし死んでもマンションは残ると思うので、それを売って新しい人生を歩んで下さい。(中略)娘を普通でいいから、元気に育てて下さい」などと記されていた。

「もう、必要ないでしょうから」と佐藤さん。最近ようやく、近所の公園まで散歩に出かけられるようになった。だが、残された休職期限はあと半年に迫っている。それまでに復職できないと、解雇されてしまうのだ。家族の将来を考えると、何とか今の会社に復帰したいと、佐藤さんは通勤の訓練を決心した。実に、一年四ヵ月ぶりに電車に乗るのである。通勤の訓練を始める日、佐藤さんは前の晩一一時に床に就いたものの、夜中の一時には目が覚めてしまい、ほとんど眠れなかった。朝パートに向かう奥さんも「仕事がなければ付いていきたい」と心配そうである。

かつて飛び込みそうになった電車。すし詰めの車内でかいた冷や汗。眩量や嘔吐。胸の圧迫感。佐藤さんはそうしたことを思い出して、パニックになるのではという不安と闘っていた。ついに電車に乗り込む。会社の最寄り駅まで三〇分。好きなクラシック音楽を聞いて、気を紛らわせる。どうにか、最寄り駅までは着くことができた。「最初はやっぱり心臓がパクパクした。一駅過ぎたくらいから落ち着いてきて。やっぱり早く復帰できるようにしたいなあと思います」そう話した佐藤さんだが、まだ会社の前まで行くのは無理だった。佐藤さんの「心の病」との闘いは、まだ続く。

2015年5月16日土曜日

鉄鋼業界との対決

ジョンソンは、かつて上院の帝王といわれていた人物だった。その彼が、ケネディ政権のなかで不遇な日々を送り、ロバートには冷たく扱われた。「ケネディをやったのは、ジョンソンだ」という噂がいまでも消えないのは、このためである。『ケネディ家の人びと』という本のなかで、P・コリヤーとD・ホロウィツツは、ケネディ暗殺事件の二週間前、ロバートの友人たちが彼に、ジョンソンに似せて作ったブードゥー教の人形を送り、みんなでそれに針を突き刺して大騒ぎをした、という話を紹介している。

これはあまりにも極端な話で、どこまで信じていいのかわからないが、ロバートの家では、彼と妻のエセルが、夕食に招待した政府の高官の背中を後ろから押してプールに突き落とす、といったたぐいのいたずらが、ときどき行われていた。また妻のエセルは、クリスマスの期間中、肺結核患者を支援するためにクリスマスーシールが売り出されることにヒントを得て、生きているクリスマスあざらしを友人たちに送りつけたこともあった。聖パトリック祭の日の夕食に、生きたウシガエルをテーブルに飾ったこともあった。そんなことを考えると、ジョンソンの人形の話もあながちでたらめではないのかもしれない。

いずれにしても、ロバートがそれほどジョンソンのことを毛嫌いし、そのことが多くの人間によって知られていたことは事実だった。その結果、「ケネディをやったのは、ジョンソンだ」という噂が人々のあいだに広まっていったのである。しかも、ケネディが暗殺されたテキサス州ダラスは、ジョンソンの地元だったのだ。

国内問題で、ケネディが就任後最初に大きな政治力を発揮することを求められたのは、鉄鋼価格の引き上げ問題だった。この話題は、ケネディについて書かれた本には必ずといっていいほど登場する。ニュー・フロンティア政策を掲げるケネディは、国内の貧困と失業の問題を解決するために、経済成長率を上昇させることと、物価の抑制に特に気を配っていた。なかでも彼は、一九六一年の秋に予想されていた鉄鋼価格の引き上げをとりわけ心配していた。

鉄鋼労組は、六〇年の争議の結果、六一年十月一日に三回目の賃金引き上げを受けることになっていた。この賃上げが生産性の伸び以上のものになれば、当然、鉄鋼価格の引き上げを招く。そこでケネディは、鉄鋼労組のデイビッドーマクドナルドに仝い、鉄鋼価格の値上げを招くような賃上げを求めないよう説得し、アメリカ最大の鉄鋼メーカーであるUSスチールのロジャー・プラウ会長には、値上げを必要としないよう、労組と早期に交渉を妥結してほしい、と訴えた。

2015年4月11日土曜日

食文化の伝播

女性や子ども、それに障害者など、社会的弱者の人権は守られなければならないという基本的な考え方に、正面切ってノーという指導者はいないだろう。だが、何をどう守るか具体的なことの一つ一つは、民族や社会の伝統によって大きく異なる。身体の線をあらわにしないイスラム女性の服装が、服装の自由という権利を奪うものではなく、男性の目から身を守るための権利である、という主張も成り立つのだ。

さきにいくっかあげたような悪習は、当然、とりはらわれなければならないものだとしても、そのためには社会的・文化的背景を知り尽くした当の女性たちが立ち上がらなければならない。アラブ民族の問題を欧米の価値観一辺倒で語ってはいけないのと同様、民族固有の文化・伝統と結びついたジェンダーの問題も、欧米のモノサシだけでははかれないのである。

文化人類学風を装って民族の食を語ろうとすると、たとえばデンプン質の主食におかずを添えるというアジア的な食と、パンはあくまでも食卓の一皿にすぎないという西欧的な食に分類したり、デンプン食を大きく、コムギ、イネ、雑穀、イモ類に分けたり、またそれぞれの調理方法を地域別に比べたりということになる。あるいは乳や乳製品、発酵食品、香辛料、酒などの種類や分布もテーマになるし、手を使うか箸かフォークかといった食べ方、マナーや、調理と食事の道具類も民族色を映していておもしろい。

ヒンドゥー教徒の牛やイスラムの豚に代表されるタブーの謎解きも興味深いし、象やキリンといった大型動物から戻虫類や虫にいたるまでの「ちょっと変わった食材」を各地に求めるのも、あまり学問的ではないが話題にはなる。ここでは紙数も限られていることなので、「民族の伝統食」と考えられている食べ物のルーツをさぐりながら、食の伝播を考える糸口としたい。

食の伝播というとき、素材が新しくもたらされるというケースと、料理法や食べ方など食文化がそっくり伝えられるケースとが考えられる。前者の、新しい食材の伝播という意味ではヽ「新大陸発見」の副産物であるジャガイモやトウモロコシやトウガラシが好例だ。新大陸の食物が世界各地の食文化をいかに変えたかについては後で述べるが、後者の、料理の伝播の例としては、中国に発祥する麺をとりあげる。

2015年3月12日木曜日

ウイルスという病原体

そのほかの病原体として、カビと同じく真核生物である原虫というものがある。原虫は単細胞の動物と考えられている。アメーバ赤痢という病気を起こすものがある。またマラリアを起こす原虫は、現在の感染医学の中で最も重要な病原体のひとつである。マラリア原虫は、寄生虫学あるいは熱帯医学の体系の中で研究されている。

ウイルスは病原体の中でも特別な扱いを受けている。形態上の単位がほかの病原体のように細胞ではないことや、これと関係することだが、大きさが非常に小さいことなどからである。また、生きている宿主細胞の存在なしでは存続できないので、多くの場合、病気との関連ぬきには考えられないことも特徴的である。ウイルスはいつでもわれわれの細胞の中に入り込んでいたり、入り込もうとしているので、はっきりした証拠がなくても、大なり小なり細胞に大きな影響を及ぼしていると考えられる。

ファージと同様に、ウイルスにもそれぞれの宿主種が存在する。さらに、その宿主種のなかの特定の細胞に感染するのが原則である。ウイルスの宿主は、ファージとちかって有限の寿命をもった動物や植物であるが、ウイルスも宿主細胞の中で粒子を作り、宿主細胞が崩壊してしまう場合と、宿主細胞に潜伏を続けたままで存在する場合がある。普通、問題となるウイルス病は前者のかたちを取るが、後者のかたちのものにも重要な病気がいくつかある。

いずれにしてもウイルスは、宿主細胞と運命を共にしないでウイルス粒子として細胞外へ飛び出す必要もあると考えられると同時に、宿主細胞の寿命にあわせて、できる限り共存するという性質も備えていると考えられる。要するにどのようなウイルスでも、それぞれ宿主細胞中に共存状態で存在する相と、ウイルス粒子になる相とが互いに助け合って感染環を作り、種の維持保存が行なわれているのだろう。

2015年2月12日木曜日

市場経済化の方向に切り替える

反抗すれば「思想的不良分子」として逮捕されることを、「見せしめ刑」によって学習し、誰もが批判されないように行動することに、違和感を感じなくなっていたのである。その意味で毛沢東は国民の心理操作に成功したと言えるだろう。だから「走資派」が捕われる時代には、金のことはおくびにも出さず、「平等に貧乏である」ことを美徳とし、それを以て革命思想の表れとしていた。もちろんその結果、働いても働かなくても給料は同じなのだから、できるだけ働かなくなる。朝は八時か八時半に出勤し、先ずお茶で一服しながら、のんびりと新聞を読む。一一時になれば昼ごはん、コー時から三時ごろまでは食後の休憩ぺ昼寝をするソファーが職場にはある。昼寝から目覚めると、そろそろ帰り支度が始まる。四時ともなれば国営企業行政官庁等の広い中庭には夕食のおかずや熔餅(こねた小麦粉を発酵させずに丸く伸ばしてフライパン等で焼いたもの。ナンに似ているが、ナンよりもこしがある)を載せ九屋台が所狭しと並び、温かいうちに買い求めて家路へと急ぐ。これが日課だった。

これは無産階級文化大革命あるいはプロレタリアート文化大革命と呼ばれているが、実態は、「大躍進」等の経済政策に失敗して国家権力の座から降りざるを得ないところに追い込まれた毛沢東が、経済に強い実権派であった劉少奇等から権力を奪還しようとした政権闘争に等しい。「大躍進」とは、毛沢東が一九五八年に発動した「集団農場化や全国民による製鋼運動を中心とした、農工業の大増産政策」である。十五年以内にイギリスを追い越すと豪語したこの無謀な計画は、三千名前後に及ぶ餓死者を出し、大失敗に終かった。この失敗による権力の回復を目的として、毛沢東は劉少奇等を走資派と批判して権力の座から引きずり降ろし、旧文化を批判し、社会主義的文化を強化させようとして知識人を弾圧。あらゆる分野において多くの人材や文化財が被害を受け、中国経済は深刻な打撃を受けた。

一九六六年から七六年までの一〇年間にわたって吹き荒れた混乱により、中国経済は全世界の歩みから見るとい相対的に約三〇年間後退したと言われている。文化大革命終息後の一九七八年一口月、日中平和友好条約の批准書を交換するために訪日した鄙小平は、戦後わずか三〇年余りでここまでの復興を成し遂げ九日本の躍進ぶりに驚き、さらに新幹線に乗ツて、そのあまりのスピードにショョクを受け、「まるで背中から鞭打たれているようだ」という感慨を漏らしたのは有名だ。それに比べこの中国は廃墟に等しい。そのニカ月後の七八年コー月、郵小平は中国共産党第十一期中央委員会第三回全体会議で「党の政策の重点を(政治闘争から)経済建設に移す」という国内体制【改革】と「対外開放」を中心に据えた【開放】政策を打ち出す。これを合わせて【改革開放】という。

2015年1月15日木曜日

ソフト面の売り込みが課題

ただ残念ながら、「現在の日本にチャンスが転がっている」と、状況に敏感な企業は、米国のGEやIBMだったりする。日本企業ではないのだ。彼らは非常に感度が高いので、東北の復興特区にコミットしてきている。GEは東北医療特区に関心を示しているし、IBMは東北のエネルギーにすごくコミットしている。日本企業はもっと行動を起こさなくてはならない。そして本当は最も真剣に攻めに転ずるべきは、電力会社そのものである。最もスマートな系統管理技術を持っているなら、それは世界中で売り物になる。省エネ技術もしかり。NTTのいまの企業価値、時価総額の大半は、伝統的な「もしもし固定電話」によるものではない。自由化分野でNTTなりに真剣勝負をして携帯電話のドコモの時価総額であり、インターネットサービス関連の収益である。

電力会社の人々も、いまは突然の大災害による原発停止問題と、急に吹き出した自由化の強烈な向かい風に、ひたすら当惑していることだろう。しかし起こってしまったことを、いまさらあれこれ言ってみてもしょうがない。そんなことより未来だ。いまこそ新しい世界に打って出るべく大改革、大ビジネスイノベーションに乗り出すべきときなのだ。そしてNTTドコモが一瞬手にしかけて実現できなかった夢、世界制覇の夢を、電力分野で日本のプレイヤーの誰か、新しい世代の誰かが、将来、実現しようではないか。日本の強みといえば、アニメーションやマンガなどのコンテンツを思い浮かべる人もいるかもしれない。だが、アニメやマンガだけではさすがに一国の経済は支えられない。市場規模が小さすぎるのだ。

通信やITはメジャーインダストリー、巨大産業だ。そして先に述べたような、これから日本が本格的に取り組んでいく医療・介護にしろ、エネルギーにしろ、万人が関わっていく、裾野が広い巨大産業だ。エネルギーは経済の基幹産業だし、国民の五人に一人が六五歳以上という超高齢社会の日本では、医療・介護も間違いなく巨大産業となっていく。もともと一国の経済を支えられる規模の産業は、それほど種類は多くない。自動車やエレクトロニクスはその力を持っているが、いま、そのあたりの産業に元気がない。だからこそ、この二大フィールドで日本は成長しなければならない。技術や機械などを売るのもそうだが、システムやノウハウなどのソフトをパッケージ化して、あとに続く国に売り込む。それが日本の生きる道だ。

これまで、ハードのつくり込みは得意でも、ソフトの売り込みは日本人の得意とするところではなかった。またハードでも、個別製品の品質には自信があっても、地域の特性に合わせたローカライズは苦手。インフラも、つくってしまったらそれでおしまいで、その後の運用は現地まかせ。だが、これからはそうも言っていられない。ここで発想の転換が必要だ。日本人が苦手なら、外国人に日本企業に入ってもらって、彼らにまかせればいい。企業活動がグローバル化しているのだから、いつまでも日本人だけで経営やビジネスをやろうとするのが間違っているのである。

三〇年ほど前までは、米国企業のGEやIBMでは、取締役会のメンバーは白人男性ばかりだった。しかし、現時点でのメンバーを見れば、違いは一目瞭然だ。人種も性別もバラバラで、IBMの新しいCEOはついに女性になった。グワーバル企業というのは本来、そういうものなのだ。かつては、米国企業でも幹部クラスは白人男性社会だった。米国には、国内に巨大市場があるから、それで十分通用した。ところが、グローバルにビジネスを展開している企業にとっては、米国内市場の比率は年々下がっていった。すると、企業内部も国際化していかないと対応できない。その結果、現在のグローバル企業では多種多様な人材が共存するようになった。