2016年4月12日火曜日

アイデンティティ危機の克服

実際、地方政府職員にその地方の由来、伝統芸能、コミュニティの社会規範などについて尋ねても、ほとんどの場合、答えが返ってこない。大きなセミナーなどのアトラクションとして演じられる踊りが伝統的なものなのか、現代風にアレンジされたものなのか、答えがない。出席者は「これがわれわれの伝統文化だ」と言うが、民族衣装を着ているからそうだと認識されているにすぎないような気がする。単なる見せ物のように思える。地方の名所・旧跡を訪ねても、その歴史や由来についての説明がない。農村では、若者が祖父母から地域の民話を聞くよりも、都市に出かけて買ってきたビデオやCDを鑑賞したり、インドネシア語に翻訳された日本のコミックを読んだりするほうが主流である。

南スラウェシの歴史や文化について地元の研究者が書いたものを見ると、海外の研究者の研究成果がよく引用されている。自らの地域文化に対する研究がこれまでいかに行なわれてこなかったかがわかる。中央からの画一的なトップダウンによる政策実施、それにともなう、コミュニティの崩壊傾向、地域文他の衰退傾向社いずれも、地域住民にとって「自分たちは何者か」をわかりにくくさせ、彼らのアイデンティティを失わせるほうへと導いていく。こうしたアイデンティティ危機を克服する方法として、彼らは先祖伝来の歴史や文化的特殊性をもう一度掘り起こしてたどり直すといった面倒なやり方よりも、誰にでもすぐわかりやすい宗教や種族といったものをアイデンティティと見なそうとする傾向があるようにみえる。

2016年3月11日金曜日

先走る「五全総」

それだけではない。五全総はすでに動き出しているともいえるのだ。たとえば建設省は、その第十一次道路整備五ヵ年計画二九九三-九七年)で、太平洋新国土軸にふくまれる伊勢湾と紀淡海峡で潮流や風力の測定を行い、海底の地質を調べるボーリング調査を実施している。これは本州と四国をつなぐ三本の長大な橋より長い橋か、海底トンネルを掘る予備調査である。地元では観光資源にもなると、橋を望んで運動をくりひろげている。

膨大な費用をどう調達するのか、いや、そうした橋や海底トンネルが必要か否かを国会が議論する前に、現実が先行している。五全総は絵空事だと笑ってはいられない。この調査は、本州四国連絡橋公団の延命工作だという見方もある。官僚組織を維持するために橋やトンネルがっくられるとしたら不条理このうえない。

そして、全国総合開発計画と、つかず離れず進んでいるのが、東京とは別に新首都をつくるという、いわゆる遷都問題である。新首都問題は一九六〇年代から経済界の一部で「究極の公共事業」として話題になっていた。建設省が一九七三年から三年計画で民間に遷都計画案を研究委託したのが具体化への第一歩だった。

ところが、一九七四年に国土庁が発足し、新首都問題は建設省から国土庁に移管された。研究の結果は一九七五年に、ゼネコン政治家といわれた金丸信自民党元副総裁か長官を務めていた国土庁が発表した。

その内容は、新首都は東京から百-二百五十キロ圏内で、移転するのは国の政治・行政機関、つまり国会と関連機関、各省庁、最高裁判所を中心とし、人口は五十万人と想定していた。面積は八千ヘクタール、建設期間は十-十五年で建設費は三兆四千億円とはじいていた。

2016年2月11日木曜日

政治家が主導する政治の実現

各党の理念や政策の相違を知るために、縦軸に、安全保障や国連協力への積極(消極)性、横軸に「大きな政府」「小さな政府」という経済の軸を置いた座標を作り、各政党を位置づけてみた。実態を単純化しているおそれがあるとはいえ、こうした作業は安保問題など、連立政権の与党である各政党間の政策上の対立、ねじれの存在を教えてくれる。

興味深いのは、そのような対立の解消、すなわち合意達成の過程で、共通のパターンがみられたことである。勿論、各政党間の調整が必要ない、ねじれがない分野もある。それはどの分野で、またどのような理由に基づくものであろうか。安全保障、経済、予算などに特化して、みていくことにしよう。

各政党が求める政策が、実際に決定され実施されるまでの問、つまり政策過程に関連する問題を扱っている。政策過程上になんらかの問題があり、そのために政策の決定や実施が妨げられていたというのが、ここでの議論の前提である。非自民政権による細川内閣が発足したとき、自民党一党支配下の政策過程は、官僚主導という点て批判が厳しかった。

そのため、政治家が主導する政治をどのように実現するかが、細川内閣以来の連立政権に共通する課題となった。一九九五年、阪神淡路大震災が発生すると、官邸での首相のリーダーシップの欠除やそれが発揮される体制の不備も指摘された。問題とされた政治の主導権の構築について、連合政権はどのような措置を具体的にとったのかも分析したい。

さらに以前から指摘されてきた問題、日本の政治そのものの不透明性がある。欧米の先進諸国と比べ、根回し的な手法がクローズアップされ、不評を買ってきたが、五五年体制下の自民党一党支配に、それを是正する原動力はなかった。なぜなら、自民党と官僚機構の密接な関係は、それなりに効率性の高い政治と経済成長を実現してきたからである。五五年体制の崩壊による非自民勢力の結集は、政策過程における透明性の向上を、はじめて、政府の主要課題としてとりあげる機会をもたらすことになった。

2016年1月14日木曜日

南北首脳会談はいつまで続くか

南北対話は、一九七二年の第一回実現以来なかなか長続きしなかった。北朝鮮が必要になると再開し、目的が達成されるか重荷になると中断してきたからだ。

過去の南北対話は一年から二年の間に中断された。二〇〇〇年の首脳会談では、「首脳会談の定期化」は約束されなかった。また、北朝鮮側はこれまで具体的な譲歩をほとんど行っていない。韓国に対する非難の声明を北朝鮮の報道機関が始めたら、中断の前兆である。

北朝鮮は、「国家の生き残り」のために南北首脳会談に応じたのであり、「崩壊の危険」が生じれば、いつでも対話を中断することになる。歴史の発展段階からすれば、北朝鮮が国家存続の限界に直面しているのは、否定できない事実であろう。

「封建国家」「専制国家」「全体主義国家」「社会主義国家」「自由民主主義国家」という歴史発展の必然性からすれば、いつかは「体制変革」か「崩壊」の岐路に立だされるはずである。

北朝鮮経済は、ほぼ崩壊状態にある。それでも、崩壊をまぬがれている最大の要素は「鎖国状態」と「正統性の維持」「国民のアイデンティティーの維持」「思想教育」である。周辺諸国が、崩壊を求めていない「現実」もある。

南北の首脳はお互いに、一九七〇年代から何度も相手に首脳会談の呼びかけを行ってきたが、実現しなかった。金大中大統領も一九九八年の就任式演説で首脳会談を呼びかけたが、金正日総書記は応じなかった。

それでは、なぜ今回、金正日総書記は南北首脳会談に応じたのか。これを解明するのは、それほど難しくはない。北朝鮮の外交戦略には、次のようなセオリーがある。このセオリーがわかっていれば、北朝鮮外交についての理解は決して難しくはないのである。

 ①大国を手玉に取る「振り子外交」と「分断戦略」
 ②南北対話は「中露との関係悪化」「同盟の危機」で開始される「危機脱出戦略」である
 ③対日戦略は「統一戦線部工作」と「日本への誤解」で失敗を重ねた
 ④対米関係のセオリーは「米国なしには生き残れない」との現実的な判断である

南北対話は、一九七二年に初めて実現して以来、「南北離散家族再会」(一九八五年)「南北首相会談」(一九九〇年)そして「南北首脳会談」と、歴史的には四つの節目がある。

一九七二年に南北対話が実現した背景には、同年二月のニクソン米大統領の訪中があった。また、北朝鮮は一九八三年のラングーン爆弾テロ事件で中国まで怒らせ国際的に孤立した。

この危機を打開するために、一九八五年に南北離散家族の再会を実現する「危機脱出」戦略に出た。一九九〇年にはソ連が韓国と国交を樹立し社会主義諸国が崩壊に向かった。この「孤立打開」のために南北首相会談が開催された。

この三つの南北対話実現の理由を検討してみると、一つのセオリーを導き出すことができる。対話の背景に、「中国との関係悪化」「中国との同盟崩壊の危機」「国際的な孤立と捨てられる憂慮」といった共通要因を発見できるのである。そして、危機を脱すると、対話を中断してきた。