2013年7月4日木曜日

日本の医療福祉は政府の価格統制の下にある

さきほど年金を払い戻すと申し上げましたが、実際にはこの生年別共済に(任意で)振り替えてもらうべきでしょう。これにより、生まれ年ごとの人口の違いに関係なく「お年寄りの面倒はお年寄りから徴収した金銭でみる」ということが実現出来ます。幸運にして大病もせず怪我もせず、ピンピンコロリで亡くなった方の遺したお金を、不幸にして大病を患ったり大怪我をしたりした同世代の方の面倒を見るのに回すということで、誰も傷つけることなく高齢化社会を乗り切ることができるのです。そんなうまい話があるのか。誰かが損をしない限りそんなことは実現不可能では? 確かに戦争ですべてを失った人も多かった過去の世代相手にこのようなことを導入すれば、豊かな時代に育った後の世代に比べて不公平が生じます。しかし四〇年代生まれ以下の世代であれば、生まれ年ごとに分けてみて、その年生まれの全員が生きていくのに十分なだけの貯蓄を獲得できているのではないでしょうか。

もちろん同じ生年の人の中にも大きな個人差があるのですが、同じ生年の人同士で助け合えば、その年代は全員がハッピーに最低限の生活水準・医療福祉水準は享受することができます。後の世代が前の世代を助けるという年金制度は、高齢者が貧しい少数者であった戦後半世紀には非常によく機能しましたが、高齢者が相対的に富裕な者も多数混ざった多数者になりつつある今世紀には機能しません。逆に高齢者に十分な貯蓄のなかった昔は機能しなかったこのような生年別共済制度が、よく機能する時代になったのです。とはいえこの話で潜在的に損をする人もいないわけではありません。ただし損をするのは、高齢者本人ではありません。死後に墓場にお金を持っていくことは誰にもできないのですから、幸運にも大病もせず、共済に払い込んだ分を使いきらずに亡くなった人も、別に損をしたわけではないのです。

損をするのは、「幸運にして大病もせず怪我もせず、ピンピンコロリで亡くなった方」の「相続人」です。親がこの共済を買っていれば、その相続人の手に入る相続財産はその共済の代金分だけ減ることになるからです。ですが、損をするといっても計算上の話で、相続人が何かキャッシュを払わされるわけではありません。そもそも親がその財産を相続前にどう消費しようと親の自由ですし、子供は子供で自分でも共済を買えば、自分の老後は(同世代であってピンピンコロリで亡くなる方に支えられて)安心です。つまりこの共済方式であれば、誰のキャッシュアウトも伴わずに、世代ごとの、世代内での助け合いによって、高齢者の激増を乗り切ることができるようになるわけです。

ちなみに以上は私か本も読まずに自分で思いついたことですが、直面している現実が同じである以上、同じことを考える人は当然世の中にたくさんいらっしゃるはずです。側聞ですが、昔の国土庁が七〇年代に三全総(第三次全国総合開発計画)を構想した際、人口予測から容易に予想される現在のような高齢者の激増に対処する方策として、同じような方向性(年金制度の共済への改編)が検討されていたそうです。ところが当時の年金官僚の猛烈な反対で、この案は闇に葬られてしまったとか。彼らは年金への政府資金投入に付随して発生する膨大な権益を守りたかったのでしょうが、その時点でこのような施策が取られていれば、日本の今はずいぷんと違っていたのではないでしょうか。戦後の住宅供給と同じ考え方で進める医療福祉分野の供給増加三つ目はどうやって医療福祉サービスの供給を安定的に増やしていくのかということに関する提案です。

日本の医療福祉は政府の価格統制の下にあり、利用者の払う価格が低く抑えられる中で、受益者負担を大きく上回るコストがかかっています。早い話、医療福祉の供給者(医者、看護師、介護福祉士、その他医療福祉産業で働く方々)の人件費は、結局のところかなりの部分が(医療保険や介護保険を経由して)政府が負担しているわけです。そしてその医療福祉のお客さんH高齢者が五年間に数十%というペースで激増しているのに、金の出所の政府が大赤字であるため、医療福祉従事者の人件費総額は十分に増やせていません。そのため供給能力増加=従事者の人員増ができず、病院関係者も福祉関係者も、今や多くが低賃金長時間労働にあえいでいます。