2016年1月14日木曜日

南北首脳会談はいつまで続くか

南北対話は、一九七二年の第一回実現以来なかなか長続きしなかった。北朝鮮が必要になると再開し、目的が達成されるか重荷になると中断してきたからだ。

過去の南北対話は一年から二年の間に中断された。二〇〇〇年の首脳会談では、「首脳会談の定期化」は約束されなかった。また、北朝鮮側はこれまで具体的な譲歩をほとんど行っていない。韓国に対する非難の声明を北朝鮮の報道機関が始めたら、中断の前兆である。

北朝鮮は、「国家の生き残り」のために南北首脳会談に応じたのであり、「崩壊の危険」が生じれば、いつでも対話を中断することになる。歴史の発展段階からすれば、北朝鮮が国家存続の限界に直面しているのは、否定できない事実であろう。

「封建国家」「専制国家」「全体主義国家」「社会主義国家」「自由民主主義国家」という歴史発展の必然性からすれば、いつかは「体制変革」か「崩壊」の岐路に立だされるはずである。

北朝鮮経済は、ほぼ崩壊状態にある。それでも、崩壊をまぬがれている最大の要素は「鎖国状態」と「正統性の維持」「国民のアイデンティティーの維持」「思想教育」である。周辺諸国が、崩壊を求めていない「現実」もある。

南北の首脳はお互いに、一九七〇年代から何度も相手に首脳会談の呼びかけを行ってきたが、実現しなかった。金大中大統領も一九九八年の就任式演説で首脳会談を呼びかけたが、金正日総書記は応じなかった。

それでは、なぜ今回、金正日総書記は南北首脳会談に応じたのか。これを解明するのは、それほど難しくはない。北朝鮮の外交戦略には、次のようなセオリーがある。このセオリーがわかっていれば、北朝鮮外交についての理解は決して難しくはないのである。

 ①大国を手玉に取る「振り子外交」と「分断戦略」
 ②南北対話は「中露との関係悪化」「同盟の危機」で開始される「危機脱出戦略」である
 ③対日戦略は「統一戦線部工作」と「日本への誤解」で失敗を重ねた
 ④対米関係のセオリーは「米国なしには生き残れない」との現実的な判断である

南北対話は、一九七二年に初めて実現して以来、「南北離散家族再会」(一九八五年)「南北首相会談」(一九九〇年)そして「南北首脳会談」と、歴史的には四つの節目がある。

一九七二年に南北対話が実現した背景には、同年二月のニクソン米大統領の訪中があった。また、北朝鮮は一九八三年のラングーン爆弾テロ事件で中国まで怒らせ国際的に孤立した。

この危機を打開するために、一九八五年に南北離散家族の再会を実現する「危機脱出」戦略に出た。一九九〇年にはソ連が韓国と国交を樹立し社会主義諸国が崩壊に向かった。この「孤立打開」のために南北首相会談が開催された。

この三つの南北対話実現の理由を検討してみると、一つのセオリーを導き出すことができる。対話の背景に、「中国との関係悪化」「中国との同盟崩壊の危機」「国際的な孤立と捨てられる憂慮」といった共通要因を発見できるのである。そして、危機を脱すると、対話を中断してきた。