2015年5月16日土曜日

鉄鋼業界との対決

ジョンソンは、かつて上院の帝王といわれていた人物だった。その彼が、ケネディ政権のなかで不遇な日々を送り、ロバートには冷たく扱われた。「ケネディをやったのは、ジョンソンだ」という噂がいまでも消えないのは、このためである。『ケネディ家の人びと』という本のなかで、P・コリヤーとD・ホロウィツツは、ケネディ暗殺事件の二週間前、ロバートの友人たちが彼に、ジョンソンに似せて作ったブードゥー教の人形を送り、みんなでそれに針を突き刺して大騒ぎをした、という話を紹介している。

これはあまりにも極端な話で、どこまで信じていいのかわからないが、ロバートの家では、彼と妻のエセルが、夕食に招待した政府の高官の背中を後ろから押してプールに突き落とす、といったたぐいのいたずらが、ときどき行われていた。また妻のエセルは、クリスマスの期間中、肺結核患者を支援するためにクリスマスーシールが売り出されることにヒントを得て、生きているクリスマスあざらしを友人たちに送りつけたこともあった。聖パトリック祭の日の夕食に、生きたウシガエルをテーブルに飾ったこともあった。そんなことを考えると、ジョンソンの人形の話もあながちでたらめではないのかもしれない。

いずれにしても、ロバートがそれほどジョンソンのことを毛嫌いし、そのことが多くの人間によって知られていたことは事実だった。その結果、「ケネディをやったのは、ジョンソンだ」という噂が人々のあいだに広まっていったのである。しかも、ケネディが暗殺されたテキサス州ダラスは、ジョンソンの地元だったのだ。

国内問題で、ケネディが就任後最初に大きな政治力を発揮することを求められたのは、鉄鋼価格の引き上げ問題だった。この話題は、ケネディについて書かれた本には必ずといっていいほど登場する。ニュー・フロンティア政策を掲げるケネディは、国内の貧困と失業の問題を解決するために、経済成長率を上昇させることと、物価の抑制に特に気を配っていた。なかでも彼は、一九六一年の秋に予想されていた鉄鋼価格の引き上げをとりわけ心配していた。

鉄鋼労組は、六〇年の争議の結果、六一年十月一日に三回目の賃金引き上げを受けることになっていた。この賃上げが生産性の伸び以上のものになれば、当然、鉄鋼価格の引き上げを招く。そこでケネディは、鉄鋼労組のデイビッドーマクドナルドに仝い、鉄鋼価格の値上げを招くような賃上げを求めないよう説得し、アメリカ最大の鉄鋼メーカーであるUSスチールのロジャー・プラウ会長には、値上げを必要としないよう、労組と早期に交渉を妥結してほしい、と訴えた。