2014年4月17日木曜日

必ず何かいいものがある

なにかショッキングな事件に遭遇して、考えが変わった、などというようなことは思い出せない。けれども。一つには年のせいでもあろうが、戦争と軍隊のせいで、かなり変わったと思っている。二十歳ぐらいまでの私は、甘やかされた、世間知らずの、医者の子であったが、若さのせいもあり、ムキになって自分の国の大人たちを非難し、反発していた。

その大人たちに素直に順応して、立身出世の道を進む級友も批判していた。そういう若者だったから、私はたちまち当時の社会から転落してしまい、結局、軍隊にとられて、下級兵士として戦場に送られたのであったが、戦後、あのころの自分は、純真だったともいえるけれど、単細胞で視野が狭く、思考が浅かったな、と思った。

理想と現実が一致しないからといって、たちまちバランスを失って墜落し、硬直し、絶望していたのである。だか、理想と現実が一致することなどあるわけがない。個人の思いは個人の思いとしてあるだけであり。動かぬ現実というものがある。その現実を批判するのは個人の思いであり、自由だが、人は生きている限り、いかさまに満ちた現実と付き合って行かねばならないし、その付き合い方の中に、自分の生き方を選ぶしかない。

それが自分の現実である。それを拒むなら自殺するしかない。実は私は、あのころ死にたかったが、死ねなかった。現実の強さというものをいやというほど思い知らされ、私は自分の無力を認め、そのあたりから、私はかなり変わったと思っている。けれども、それは、ある自分に出会ったことなのか。なにかを得たことなのか。それとも単に、なにかを失ったことなのか。まだよくわからない。
                      
岸田國士先生が亡くなったのは、昭和二十九年(一九五四年)であった。享年六十四歳。あれから四十五年。当時三十四歳であった私は、今、七十九歳である。今の私は、あのころの先生より十五年も年長の老人だが、先生を思い出しているときの私は三十代である。あのころの自分を振り返ると。オレは、まだ戦争ボケ状態だったなと思う。

今の私だって相変わらずのところがあるが、私は社会や組織の中に、バランスよく自分を据えることがド手である。けれども今は、自分を第三者の目で見て、批判ぐらいはしている。しかし二十代ぐらいまでの私には、そういう思いもなく、職場に対して、会社に対して、自分の稚なさや愚かさを棚に上げて不満に思っていた。