2016年3月11日金曜日

先走る「五全総」

それだけではない。五全総はすでに動き出しているともいえるのだ。たとえば建設省は、その第十一次道路整備五ヵ年計画二九九三-九七年)で、太平洋新国土軸にふくまれる伊勢湾と紀淡海峡で潮流や風力の測定を行い、海底の地質を調べるボーリング調査を実施している。これは本州と四国をつなぐ三本の長大な橋より長い橋か、海底トンネルを掘る予備調査である。地元では観光資源にもなると、橋を望んで運動をくりひろげている。

膨大な費用をどう調達するのか、いや、そうした橋や海底トンネルが必要か否かを国会が議論する前に、現実が先行している。五全総は絵空事だと笑ってはいられない。この調査は、本州四国連絡橋公団の延命工作だという見方もある。官僚組織を維持するために橋やトンネルがっくられるとしたら不条理このうえない。

そして、全国総合開発計画と、つかず離れず進んでいるのが、東京とは別に新首都をつくるという、いわゆる遷都問題である。新首都問題は一九六〇年代から経済界の一部で「究極の公共事業」として話題になっていた。建設省が一九七三年から三年計画で民間に遷都計画案を研究委託したのが具体化への第一歩だった。

ところが、一九七四年に国土庁が発足し、新首都問題は建設省から国土庁に移管された。研究の結果は一九七五年に、ゼネコン政治家といわれた金丸信自民党元副総裁か長官を務めていた国土庁が発表した。

その内容は、新首都は東京から百-二百五十キロ圏内で、移転するのは国の政治・行政機関、つまり国会と関連機関、各省庁、最高裁判所を中心とし、人口は五十万人と想定していた。面積は八千ヘクタール、建設期間は十-十五年で建設費は三兆四千億円とはじいていた。